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孫に手伝ってもらい畑を耕します 2月26日(日)

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やっと1本の畝が完成しました

 昭和47年にグアム島で発見された横井庄一さんは、帰国後にサバイバル評論家として全国各地へ講演活動に訪れていましたが、そんな環境にあったために自分の食料も自給自足を意識して畑を借りてまで耕していました。

 しかし、帰国してから10年を経過する頃には、目の白内障や胃ガンが見つかり、畑どころか帰国後に窯まで作った陶芸すらできなくなっており、記念館の裏庭の家庭菜園についても、草が生え放題となっていました。

 さて、30年間にわたって、クワやスコップの入っていない畑は、スギナや雑草の根が張りめぐっており、掘るのも大変で、3本作る予定の畝を1本作って本日の作業は終わりにしました。

 横井家に入る前に大鹿庄一として我家に居た幼少期は、男手がないため小学校を休んで農作業を手伝わされていただけに、本人が見たら「そんなんじゃ、ダメだよぉ」と言われそうですが、夫人(記念館館長)は「何かはできるでしょう」と前向きでした。

 ここには5本のイチゴの苗を植えて、5月頃には訪問された人々に食べていただく予定としていますが…