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 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、前回の当番日(10月4日)にバリアフリー検証会で津島市内の街歩きで欠席していたために、1ヶ月ぶりの訪問となり、欠席が多く肩身が狭いために四国のお煎餅(私のお気に入り・かまどせんべい)を持参しての参加です。

 さて、こんな久しぶりの登場でありながら、不謹慎にも私は2日前に徹夜同然で印刷した会報の折込作業(A3・2枚裏表をA4・8ページに)を予定して持ち込んでいたものの、嬉しい悲鳴か、幸せと喜ぶべきかも知れませんが、私を指名した訪問客が続き、記念館を私の応接間としてしまう一日となりました。

 添付した写真は、玄関先で3年間の風雪(雨ですかね)に耐えた記念館の看板と、記念館全体に香水のような香りを放っている「沈丁花・ジンチョウゲ」の樹(携帯電話のピンボケですいません)で、まもなく柿の実も食べ頃を迎えようとしています。

 私のかつての仕事の先輩も訪問し、ミニコミ誌に横井庄一記念館を掲載したいとの話に、「館長(横井夫人)には伝えたの?」と聞くと、館長から「大鹿さんが良ければ」と返事があり、「誰が取材に来るの?」と問うと、「あんたが一番詳しいんじゃない」との話ですが、忙しくて隙間もないスケジュールにもかかわらず、館長からも簡単じゃないとの会話で勝手に決まってしまいました。

 マスコミとか宗教団体には慎重な館長にしては「何故に?」と疑問だったが、先輩は訪問時に高価そうな饅頭を持参しており、先客と会話中に出された饅頭は先輩からの差し入れだったと聞かされ「成る程」と感心させられたが、現役は引退しているものの年の功に1本とられました。

 忙しい毎日の繰返しから記念館を欠席もしがちとなっており、そのために再度訪問を受けるようでは責任も感じますが、次も公的行事と親族の法要のため欠席が決まっており、館長とボランティアのTさんが当番日の日程変更まで考えていたようですが、日程変更をされても日程は埋まっており、変更は全滅となる事から何ともなりません。

 こうした一日が済み、帰宅してから何も手付かずに終わった折込作業を続けていると、明日は胃がんの検診が予約してあり、今晩は夜8時以降は食事を「一切口にいれないでください」と予約表に記されている事から、夕食の締め切り時間にも迫られ、これから午前様となる作業が更に苦痛となる一日ともなりそうです。
                                 10月18日の一言